当時のおはぎゃー指数 おはぎゃー度 100% 大おはぎゃー |リーマン・ショック 2008年10月16日
あなたがもし2008年の秋に株を持っていたら、毎朝おそるおそる画面をつけ、そして毎朝打ちのめされただろう。9月から11月まで、下げは終わらなかった。世界最大級の投資銀行が消え、「安全」だったはずのものが次々に崩れ、日経平均はわずか1か月半で7,000円を割った。これは、多くの人が「暴落」という言葉で真っ先に思い浮かべる、あの秋の記録である。
第1章 前夜 — 「大きすぎて潰せない」はずだった
2008年、アメリカの住宅バブルはすでに崩れ始めていた。信用力の低い人向けの高金利ローン「サブプライム住宅ローン」が焦げ付き、それを複雑に加工した金融商品が、世界中の銀行の帳簿の中で静かに腐り始めていた。同年3月には投資銀行ベアー・スターンズが救済され、市場は「政府はきっと大手を見捨てない」と信じ込んでいた。
だが2008年9月15日、その信頼は裏切られる。全米第4位の投資銀行、創業158年の名門リーマン・ブラザーズが、救済されないまま連邦破産法11条を申請。負債総額はおよそ6,130億ドル(当時の為替で約64兆円)、米史上最大の倒産だった。「大きすぎて潰せない(Too Big To Fail)」は、幻想だったのだ。
この日、日本は敬老の日で休場だった。世界がリーマン破綻に凍りついていくのを、日本の投資家は祝日の食卓から、なす術なく眺めるしかなかった。動けるのは翌朝の寄り付きから。長い一日が、始まろうとしていた。
第2章 その朝 — 「暗黒の10月」の底なし沼
9月16日(火)、休み明けの日経平均は前日比−605円(−4.95%)の11,609円で引けた。十分に大きな下げだ。だが、これは序章にすぎなかった。
本当の地獄は、10月に訪れる。
- 10月8日:−952円(−9.38%)、9,203円。
- 10月10日:−881円(−9.62%)、8,276円。日経225先物には一時−20%級の売りが殺到し、サーキットブレーカー(急変時に取引を一時中断する装置)が発動した。
そして相場は、正気を失ったように乱高下する。10月14日、日経は世界の協調策への期待から+1,171円(+14.15%)と暴騰した。これは今なお破られていない史上最大の上昇率だ。だが、喜びは2日ももたなかった。
10月16日(木)、日経平均は−1,089円(−11.41%)の8,458円へ叩き落とされる。1日で1割超が消えるこの下げは、1987年のブラックマンデー(File.3)に次ぐ、当時史上2位の下落率。現在も、令和のブラックマンデー(File.1)と1987年に次ぐ歴代3位に残る、まぎれもない「事件簿級」の一日である。恐怖指数VIXは連日60〜80台へ跳ね上がり、10月24日にはザラ場で史上最高の89.53を記録した。
下げは止まらない。10月24日−9.60%(7,649円)、10月27日には終値7,162円と約26年ぶりの安値をつけ、そして10月28日の朝、日経平均はついにザラ場で6,994円90銭——7,000円を割り込んだ。1年前、2007年の高値は18,000円台。市場価値のおよそ6割が、この秋に蒸発した計算になる。
第3章 何が起きていたのか — 「信用」が消えた日
なぜ、アメリカの住宅ローンの焦げ付きが、日本株を7,000円まで突き落としたのか。鍵は「証券化」と「信用収縮」にある。
サブプライムローンは、銀行の帳簿に置かれたままではなく、細切れにされて他の債権と混ぜ合わされ、CDO(債務担保証券)という金融商品に姿を変えて世界中に売られていた。格付け会社はそれに高い格付けを与え、各国の銀行・年金・ファンドが「安全な高利回り」として買い込んでいた。だから住宅ローンが焦げ付いた瞬間、損失が「どこに、どれだけ潜んでいるのか誰にも分からない」状態になった。
すると、銀行同士がお金を貸し合わなくなる。「あの銀行、明日潰れるかもしれない」——疑心暗鬼が、金融システムの血流である短期資金を止めた。これが信用収縮(クレジットクランチ)だ。
日本にとっての主犯は「円」だった。世界の投資家は、低金利の円を借りて高利回り資産へ投資する「円キャリー取引」を積み上げていたが、危機でそれを一斉に巻き戻した。結果、猛烈な円高が進み(一時1ドル90円割れ)、輸出企業の多い日本株は、震源地でもないのに為替でも殴られた。「日本は台風の目ではないのに、いちばん派手に傘が飛んだ」——それがリーマン・ショックの、日本にとっての残酷さだった。
第4章 それから — 4年半の帰り道
底は深く、帰り道は長かった。日経平均は翌2009年3月10日、終値7,054円98銭でバブル崩壊後の最安値をつける。世界は総力戦で応じた。各国中央銀行の協調利下げ、米FRBのゼロ金利と量的緩和(QE)、公的資金による金融機関への資本注入——「二度と1930年代の大恐慌を繰り返さない」という総動員だった。
それでも、日経平均がリーマン前の水準(約12,000円)を取り戻すのに、およそ4年半を要した。本格的な回復は、2012年末からのアベノミクス相場を待つことになる。そして1989年末の史上最高値38,915円を日経平均が更新したのは、なんと2024年——実に35年後のことだった。おはぎゃーの傷は、それほどまでに深い。
第5章 この事件から学べること
① 「絶対安全」を疑い、分散する。 「大きすぎて潰せない」「格付けAAAだから安心」——リーマン・ショックは、そうした“絶対”がすべて崩れうることを見せつけた。一つの国・資産・銘柄に賭けきらない分散が、唯一まともに効く保険になる。
② パニックの底で投げない。 10月28日に7,000円を割った相場も、数か月〜数年でならせば回復に転じた。しかも暴落の渦中には、10月14日の+14.15%のような猛烈な反発日が紛れ込む。恐怖に駆られて底で投げた人ほど、その反発を取り逃し、いちばん安いところで売ってしまった。
③ 恐怖指数(VIX)を「体温計」にする。 VIXが40を超えたら、市場は平常心を失っている。そんな時こそ枚数を落とし、現金を残し、嵐が過ぎるのを待つ。退場さえしなければ、相場には必ず次がある。
もし今、同じことが起きたら? 名前は変わるだろう(次は「AIバブル崩壊」かもしれない)。だが構造は同じだ。「みんなが安全だと信じ込んだもの」が崩れる時、おはぎゃーは来る。その時あなたを守るのは、当たるかどうか分からない予言ではなく、分散と現金と、盤から目を離さない冷静さだ。
株運長久ダルマより
「ふぉっふぉ、リーマンの秋か……ワシの長い付き合いの相場でも、あれは指折りの「奈落」じゃった。7,000円を割ったあの朝、多くの者が「もう終わりだ」と投げた。じゃがのう、相場は死ななんだ。世界が手を取り合い、また起き上がった。覚えておきなされ——大おはぎゃーの底で見えるのは、いつも「絶望」の二文字じゃ。その二文字が一番濃くなった時こそ、夜明けは近い。ワシは七転び八起き。何度でも、起き上がる。」
他の「大おはぎゃー」も読む:
→ File.1 令和のブラックマンデー
→ File.3 ブラックマンデー1987
→ File.5 コロナショック
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