【おはぎゃー事件簿 File.3】ブラックマンデー1987 — すべての「おはぎゃー」はこの朝から始まった

1987年10月20日、日経平均が前日比−14.90%(史上最大の下落率)で終値21,910円まで急落し、翌21日に+9.30%反発、約5か月後の1988年3月に暴落前水準を回復した推移チャート


当時のおはぎゃー指数

おはぎゃー度 100% 大おはぎゃー
|ブラックマンデー1987 1987年10月20日

1987年10月20日、火曜日の朝。あなたがまだ生まれていなかったかもしれないその朝、東京の株式市場は、それまで誰も見たことのない速さで崩れ落ちていきました。前日にニューヨークでダウが1日で−22.6%という史上最大の暴落を記録し、その衝撃が時差とともに東京へ押し寄せたのです。この日、日経平均は−14.90%——日本市場史上最大の下落率を刻みます。すべての「おはぎゃー」の原点となった一日を、いっしょに現場へ戻ってみましょう。

第1章 前夜 ── 「国民総投資家」の熱狂と、海の向こうの一撃

暴落の前、日本はかつてない投資ブームのただ中にありました。きっかけは1987年2月のNTT株上場。売り出し価格119万7,000円に対し、初値は160万円、そして4月には318万円まで駆け上がります。「株を買えば儲かる」——テレビも新聞もNTT株の話題で持ちきりになり、それまで株と無縁だった主婦やサラリーマンまでもが証券会社の窓口に列を作りました。世に言う「国民総投資家」ブームです。個人投資家の数が爆発的に増えた、まさにその直後に、事件は起きました。

一方、海の向こうのアメリカでは、静かに歪みがたまっていました。当時の米国が抱えていたのは「双子の赤字」(財政赤字と貿易赤字が同時に膨らんでいた状態)。これを嫌気して長期金利がじりじりと上昇し、10年国債の利回りは年初の7%台から、10月には10%超まで跳ね上がっていました。金利が上がれば、相対的に株の魅力は薄れます。さらにドル安をめぐる国際協調にほころびが見え始め、市場の神経は限界まで張り詰めていました。導火線は、静かに燃えていたのです。

そして日本時間の10月20日未明——ニューヨークから、一撃が飛んできました。

1987年10月20日、日経平均が前日比−14.90%(史上最大の下落率)で終値21,910円まで急落し、翌21日に+9.30%反発、約5か月後の1988年3月に暴落前水準を回復した推移チャート
日経平均の日足推移(1987年9月〜1988年4月)。10/19の25,746円から10/20に21,910円へ一気に崩落し、翌10/21には+9.30%で急反発。約5か月後の1988年3月に暴落前の水準を回復した。終値はYahoo!ファイナンス日次データより作図。

第2章 その朝 ── 10月20日、東京が凍りついた

まず前夜の伏線から。日本時間10月19日の夜(現地の月曜日)、ニューヨーク株式市場が壊れました。NYダウは508ポイント安、−22.6%(2,246.74→1,738.74)。1日の下落率としては、現在に至るまで史上最大のままの記録です。出来高は約6億株と通常の3倍に膨れ上がり、注文処理はまったく追いつきませんでした。一部の銘柄は1時間以上も値がつかず、S&P500採用銘柄の3割(時価総額ベース)が午前10時の時点でまだ寄り付いていなかったほどの大混乱です。この津波が、時差を越えて東京へ向かってきました。

そして週明けならぬ翌日、10月20日(火)の東京市場——

  • 寄り付き前:前日のNYの惨状は、すでに日本中の投資家に伝わっていました。売り注文が殺到し、市場は開く前から総崩れの気配。
  • 寄り付き〜ザラ場:あまりの売りの多さに、売り気配のまま値がつかない銘柄が続出したとされます。買い手が消え、売りたい人ばかりが並ぶ——値段そのものがなかなか成立しない、あの独特の重い空気が場を支配しました。
  • 大引け:日経平均は前日終値25,746円56銭から、終値21,910円08銭で終了。下げ幅は−3,836円48銭、−14.90%。これは1953年のスターリン暴落(−10.0%)を34年ぶりに更新する、日本市場史上最大の下落率でした。TOPIXも−14.86%と、市場全体がまるごと1割半、消えたのです。

ひとつ付け加えておきます。2024年8月5日の「令和のブラックマンデー」は下げこそ−4,451円で史上最大ですが、下落で見れば、この1987年10月20日の−14.90%が、いまも堂々の1位のままです。数字の重みは、率で見るといっそう際立ちます。

そしてここが、この事件のいちばん奇妙なところです。当サイトのおはぎゃー指数を当時の数字で計算すると——日経の−14.90%だけで指数式は「10×14.9=149」。上限の100を、たった1指標で軽々と超えてしまいます。ここにNYダウの−22.6%を足せば、式は完全に振り切れます。しかも1987年当時は、恐怖指数VIXがまだ存在せず(VIXの誕生は1990年代)、半導体指数SOXも指数として整っていませんでした。5指標のうち、判明しているわずか2つだけで、メーターが上限を突破してしまう——計器そのものが振り切れた、それがこの日でした。ダルマは当然、いちばん青ざめた黒青ダルマ「大おはぎゃー」です。

第3章 何が起きていたのか ── 「機械が売りを加速する」構図

これほどの暴落を引き起こした犯人は、いったい誰だったのか。じつは今日に至るまで、専門家の見解は割れたままで、単一の原因は特定されていません。それでも、有力な容疑者として繰り返し名前が挙がるものがいくつかあります。

ひとつは、第1章で触れた金利上昇。双子の赤字を背景に長期金利が跳ね上がり、割高だった株価を支える理屈が崩れました。もうひとつは、ドル安を巡る国際協調のほころびへの懸念。そして——市場関係者を最も震え上がらせた容疑者が、当時アメリカで広まっていたポートフォリオ・インシュアランス(相場が下がったら先物を自動で売って損失を抑える、コンピュータ仕掛けのリスク回避手法)でした。

この仕組みには、致命的な副作用がありました。相場が下がると、プログラムが「損を抑えるため」に先物を売る。ところがその売りが、さらに相場を押し下げる。すると別のプログラムがまた売る——株安が株安を呼ぶ、自己増幅のループが生まれてしまうのです。図にすると、こうなります。

株価が下がるとプログラムが先物を自動で売り、それがさらなる株安を招く。ポートフォリオ・インシュアランスが下落を自己増幅させる悪循環の図解
ポートフォリオ・インシュアランスの悪循環。「損を抑える」はずの機械の売りが、次の株安を呼び、そのループが人間の判断より速く回り続けた。

この構図に、既視感はないでしょうか。2024年8月5日の令和のブラックマンデー(File.1)で日経を−12.4%まで叩き落としたのも、突き詰めればアルゴリズム売買の連鎖でした。仕組みも時代も違えど、「機械の売りが人間の恐怖より速く回る」という現象そのものは、37年の時を越えてそっくり繰り返されているのです。原因不明のまま、暴落だけが確かに起きる——1987年は、その教科書の第1ページでした。

第4章 それから ── 翌日+9.3%、そして歴史の皮肉

ここまで読むと、暗黒時代が延々と続いたように思えるかもしれません。ところが——事件の「その後」は、暴落そのものと同じくらい劇的でした。

10月21日(水)、日経平均は寄りから買い戻しが殺到し、+2,037円32銭(+9.30%)23,947円40銭へ、歴史的な急反発を見せます。前日の恐怖が嘘のような、V字の跳ね返り。パニックの底で投げ売った人ほど、この反発を丸ごと取り逃がしたことになります。

回復も、意外なほど早いものでした。折しも日本はバブル景気へと向かう追い風のただ中。暴落前の水準を、日経平均は約5か月後の1988年春(3月)には回復してしまいます。米国が同じ水準に戻るまで1年半〜2年かかったことを思えば、日本の立ち直りは驚異的でした。

しかし歴史は、ここに皮肉を仕込んでいました。この暴落を軽々と乗り越えた日本市場は、その先でバブルの絶頂へと突き進み、1989年末に日経平均は3万8,915円の史上最高値をつけ、そして——というのは、また別の事件簿でお話ししましょう。1987年のブラックマンデーは、日本にとって「乗り越えられた暴落」であると同時に、より大きな熱狂へと向かう入口でもあったのです。

第5章 この事件から学べること

すべての「おはぎゃー」の原点が残した教訓を、3つに絞ってお土産に持ち帰ってください。

  1. 原因がわからなくても、暴落は起きる。 37年経った今も、ブラックマンデーの「単一の原因」は特定されていません。「なぜ下げたのか誰も説明できない」まま、市場が1割半も消えることが現実にあり得る——それを最初に教えてくれたのが、この日でした。理由を待ってから逃げよう、では間に合いません。
  2. 機械の売りは、人間の恐怖より速い。 ポートフォリオ・インシュアランスの自己増幅ループは1987年のものですが、その本質は2026年のいまも変わりません。アルゴリズム売買が主役の現代のほうが、むしろ連鎖はもっと速い。「もし今、同じことが起きたら」——値動きは、あなたがスマホを開くより先に完結しているかもしれません。だからこそ、パニックの渦中で慌てて動かない準備が要ります。
  3. 狼狽売りが、いちばん痛い。 この日の翌日は+9.30%の急反発でした。史上最大の下落の底で恐怖に負けて投げていたら、翌日のV字をまるごと逃していたことになります。退場さえしなければ、相場は起き上がるまで待てる——日本がわずか5か月で立ち直ったこの事件は、その何よりの証拠です。
★1 絶望ダルマ

株運長久ダルマより

「ワシが初めて真っ青になったのが、この朝じゃった。1日で市場の1割半が消える——そんなものを、誰も見たことがなかったからのう。じゃがのう、翌日には+9.3%で跳ね返し、5か月で元通りになったのもワシじゃ。原因はいまだにわからん。それでも、七転び八起き。おはぎゃーの朝は、いつか必ず明ける。願掛けの片目は、まだとっておこうかの。」

▼ 事件簿シリーズの他の記事もどうぞ。同じ「アルゴの連鎖」で市場が崩れた令和のブラックマンデー(File.1)と読み比べると、37年を越えて繰り返す暴落のかたちが見えてきます。個別株の逃げられない暴落を描いたサンバイオショック(File.2)もあわせてどうぞ。次回もお楽しみに。

▼ 為替発の世界同時株安の記録もどうぞ。チャイナショック(File.9)では、人民元切り下げと円高が日本株を直撃した2015年の夏を解説しています。

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